男と女のQ&A【親子編】「野球部の女子マネージャーというのは…」

【Q】
中学3年生の娘がいます。年明けには高校受験を控えていますが、甲子園の常連校に行きたいと言っています。夏の甲子園で女子マネージャーのことが話題になったのがきっかけで、マネージャーとして選手を支え、甲子園に行きたいと言い出しました。
これまで陸上で頑張ってきて、それなりの結果も残していたので、夏前までは女子駅伝で有名な高校に進学したいと言っていたのですが、今では野球部のマネージャーに傾いているようです。
自分で決めた目標ですから大事にしてやりたいという気持ちもありますが、男の子との関係や一人の人として自分自身が何かをするというのではなく、女子として男子を支えるという部分にどうしても抵抗を感じてしまいます。
男子野球部や男子サッカー部の女子マネージャーというのは、どう考えても性差による役割分担なので、将来、性役割の固定化につながっていってしまうのではないかと心配です。
 
【A】
全くおっしゃる通りです。私たちは生れた時から、いや生れる前から男か女かのどちらかに分類され、ずっとそれがその後の人生についてまわります。親やまわりの人がかける言葉も胎内の子が女の子か男の子かわかった瞬間から違ってきます。女の子なら「~ちゃんはいい子よね。やさしい子ね…」、男の子だと「~君!元気な子になるのよ!!」と呼びかけてお腹をさする毎日が始まります。
生まれようものなら女の子の産着はピンクや花柄の可愛いもの、男の子には元気のいいキャラクターものや男の子っぽい(と思われている?)色のものがお祝いに次々と送られてくることになります。おもちゃ類も同様です。女の子には乗り物やロボットなどのおもちゃは与えられず、男の子には人形やおままごとの道具は与えられません。本も同様で、年齢に即した男の子っぽいもの、女の子っぽいものが与えられることになります。節句もしかり。女の子にはおひなさま、男の子には鯉幟や兜差を多くの親やおじいちゃん、おばあちゃんが大喜びで買ってくれたりします。
そして幼稚園、小学校などの集団による教育が始まれば園をあげての男の子、女の子という区別が行われます。名簿順や制服、教材等々。まさに「女の子らしく」「男の子らしく」なることが人として普通で当然のように教育されます。
1992年までは家庭科は女子だけの必修科目でした。1993年になって中学校で、その翌年高等学校でやっと共修が行われるようになりました。それでもしばらくの間は女の子は調理実習、男の子は工作で本棚をつくったりコンピューターの勉強をしている学校現場がたくさんありました。有名男子高の男性教諭で強硬に「うちの学校の生徒は優秀だから調理など机上で学べば充分。家庭科室はいらない!」と言い張っていた先生を私は知っています。
校長先生やリーダー格のの先生に男性が多い学校で9年間の義務教育をされれば、あなたのお子さんだけでなく、ほぼ全員が女の子は人にやさしく、選手の汚れたユニホームを洗ったり、道具類の後始末をしたり、飲物の準備をするという補助的な仕事を、男の子はそういう女の子のためにも元気に勇敢に敵と闘い、勝利を勝ち取る誇り高い仕事をという風に考えるように育ちます。
今話題のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」も新垣結衣さん演ずる「森山みくり」が仕事として家事を担うという設定ですからまさにそういった状況の上に成り立っているドラマということが言えます。このジェンダーバイアス(=男女の性別による偏見)を解放して人々の行動や生き方を性別の枠組に押し込めず多様な個性が尊重される社会を作ろうという考え方「ジェンダーフリー」は歴史の上でやっと始まったばかりです。価値観は人それぞれなので、どちらが正しいと簡単に申し上げられることではありませんが、真の男女平等には「ジェンダーフリー」が必要でしょう。
お子さんとよく話し合ってください。
第109回

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