男と女のQ&A【恋愛編】「実際に会って肌と肌を触れ合わせてみないと…」

【Q】
私は医療関係の仕事をしています。2年前、彼が私の勤めている病院に入院したことで知り合いました。ドラマとかではよくあるパターンですけど、実際は少ないんです。医療関係の人は、医療関係の人と付き合って結婚っていうのが多いので。患者さんとは話す機会も少ないし、すぐ退院しちゃうので、付き合うとこまでいかないんです。休みも合わないし…。私の場合も、彼はエンジニアでデートの時間を作るのが難しかったので、私が休みの時に彼の家に泊まりに行っていたんです。でもコロナ騒動で…。最初、彼は「おいでよ」って言ってたんですけど、医療現場の感染リスクが高いことがわかると、「おいでよ」のトーンがだんだん下がって、電話やラインが多くなったんです。私も職業柄絶対に感染できないし、最低限の休みしか取れなくなっちゃったんで、都合がよかった面もあるんですけど、会いたがらないっていうのは、距離が遠くなったってことですよね。電話で話しても、お互いに仕事の話ばっかり。2人の将来の夢みたいな話が出来なくなったんです。やっぱり、実際に会って肌と肌が触れ合って、相手を身近に感じられないと気持ちが離れちゃうんですかねえ?今でも彼のことは大好きだし、彼もそう思ってくれてるとは思うんですけど…
 
【A】
「精神0」という映画(想田和弘監督)に寄せて、映画ライターの月永理絵さんはこう書いています。「顔を寄せ合い対話すること。手を重ね合わせること。それがどれほど貴重で脆いものであるかを、私たちはついに知ってしまった」(5/1朝日新聞夕刊)と。
 
この映画は、精神科診療所の引退間近の老医師、山本昌知さんを撮ったドキュメンタリーで、前作の「精神」という映画(2008年)の第2弾として発表されたものです。長年にわたって精神医療に携わってきた山本医師が引退を決意し、その後の人生を認知症を患う妻とともに歩み出そうとする姿を、妻、芳子さんとの愛の形にも迫って記録した観察映画です。精神科診療所では患者、家では認知症を患う妻の声に、根気よく耳を傾ける老医師の姿から映画ライター、月永理絵さんは、人の尊さや信頼も、生きることの喜びも見つめ合い、聴き、手を当てて、そういう行為の積み重ねの中でしか生きられないと感じたのでしょう。
 
昔から「手当てをする」という言葉は、医者や看護師など、医療従事者の専売特許のように使われていますが、痛いところへ「手を当て」てもらうだけで痛みが軽く感じられた経験は誰でもあると思います。小さい子どもが転んで痛がって泣いている時、お母さんやおばあちゃんが、痛い場所辺り(辺りでいんです)を撫でたりしながら「痛いの痛いの飛んでけっ!」と2、3回やると、それまで大声で泣いていた子どもがすっと黙るのを見ますよね。
 
「コロナ」という壁があってもそれをなんとか克服して、たとえあなたが医療関係の仕事に就いている感染リスクの高い人だとしても、むしろだからこそ不安を「手当て」して、不安を少なくする工夫をしてこそ、本当の恋人、愛しているという証拠なのではないですか。確かに、2人が抱き合えば完全に濃厚接触者。どちらがどちらに感染させても大変なことです。ですから、肌と肌を触れ合って会うことが少なくなるのは仕方のないことなのですが、あなたの場合、「電話で話しても、お互いに仕事の話ばっかり」と不満げですよね。
 
彼のエンジニアとしての話、自分の世界と違う話には興味がわきませんか?
「2人の将来の夢みたいな話」が出来ないと嫌ですか?
今、離れていなくてはならないからこそ、電波に乗って流れてくる彼の「声」に耳を当てているだけで嬉しく「愛」を感じられませんか?
電話は直接「耳」を通して身体の内面に入るので、とても「愛」を感じやすいものです。
今の状態を受け入れられないのであれば、あなたと彼は別れた方がいいかもしれません。
第197回

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