男って何?女って何?【夫婦編】「バツイチの私なんて…」

 
Q.夫とは私が28歳の時に知り合い、1年あまり交際して結婚、3年が経ちました。夫は3歳年下で初婚です。私は24歳で結婚しましたが、夫の浮気が原因で2年間で離婚しました。離婚直後は「男ってこういうものなんだっ!」という気持ちから、二度と結婚しないつもりだったんですが、今の夫と知り合い「男にもこういう人がいるんだぁ」という気持ちになり、夫の気持ちに応える形で再婚しました。でも、私の心の中には「夫は初婚、私はバツイチ」という申し訳ない気持ちが常にあって、ことあるごとに不安になったり、投げやりな気持ちになったりします。夫はそんなこと気にするそぶりも見せませんが、私には夫が無理をしているようにしか思えません。
 
A.離婚を経験した人、特に女性の場合は「結婚生活さえ当り前に送れなかったダメな女」と世間からもさげすまれ、自らも卑下して「バツイチの私なんて…」という思いを抱いて生きていくことも少なくありません。男性でも「俺、バツイチ」と言うことはありますが、女性と違って何となく「経験豊かな人」というプラスのイメージに映ることさえあります。
 
これは「結婚」が、憲法に「両性の合意」によって成立すると謳われているにもかかわらず、「嫁に行く」「嫁を貰う」という文化の上に成り立っているからです。結婚は家と家の取り決めで労働力と子孫を残すための大きなイベントであり、花嫁衣装は「白」の打ち掛け、あるいは「白」のウエディングドレスであり、「そちらのお宅の色に染まりますよ」という証しです。だから離婚した女性は相手方の色に染まれなかったジャジャ馬、わがままな女という烙印が押されてしまうことになります。
 
また男性にとってそれほどマイナスイメージの強くない「バツイチ」が、女性にとって大きなマイナスのイメージで捉えられてしまうのは、そこに「処女性」の問題があるからです。近年、意識は大きく変わったとはいえ、男性では女性との性体験の多さを誇る人がいるくらいに許容されることなのに、女性では、「ふしだらな女性」というレッテルが貼られることになってしまったりします。教会で父親から花婿に渡されるために花嫁が歩く絨毯を、未だにバージンロードと呼んでいるのも象徴的ですね。最近では、性体験なしに結婚する女性はほとんどいないでしょうから、矛盾だらけのおかしな話です。なぜ処女性が尊ばれたかを考えると、科学が発達していない時代では妻が妊娠した時、お腹の子が夫の遺伝子をもった子であることの証拠は妻が処女であることしかなかったからと考えられます。当然処女でない女性の価値が下がることになるわけです。江戸時代の吉原などでは性体験のない女性が大金で売買された文化もありました。こんな前近代的文化の名残が私たち女性の内なる意識の中にあり、あなたの中にもあるということですね。
 
どうぞ「そんなこと気にするそぶりも見せない夫」さんの気持ちを真っ直ぐに受けとめ、さらに素敵な愛を育んでください。離婚は大きなエネルギーが必要なもの。離婚経験を「バツイチ」と呼ぶのではなく、新しいパートナーに切り替えられたあなたの勇気を「マルイチ」とでも呼びましょう。
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