Q.
10年前、私が35歳、夫が43歳の時結婚しました。子どもはいません。3年前、夫が50歳の時、脳梗塞で倒れ、命は取り留めたものの、手足と脳に障害が残り、一人ではほとんど何も出来ない状態が続いています。少しでも回復してほしいと手は尽くしたんです。リハビリも続けているんですが、今では普通の大人の会話も難しくなりました。正直言って、私の心の中で愛情という言葉が忍耐という言葉に変わってしまったんです。そして、最近、夫の介護の合間に通っている趣味のサークルの中の男性が好きになり、一緒にいたいと思うようになりました。そして先日、一線を越えてしまいました。もちろん、理性では悪いことだと分かっているんです。でも罪悪感が湧いて来ません。
A.
3年間、命は取り留めたものの手足も一人では自由に動かせず、普通の会話もままならない夫をよく介護、看護してきましたね。最近は「愛情」という言葉が「忍耐」という言葉に変わってしまったと嘆いていらっしゃいますが、とても正直な気持ちだと思います。もちろん、お連れ合いもなりたくてなったわけではありません。が、3年間は妻が夫を一方的に介護・看護してきたわけですから、夫婦として身体的にも精神的にも対等な人間関係ということではなく、小さな赤ん坊の世話をするのと同じように与える・与えられるの関係です。しかも、赤ん坊なら昨日できなかったことが今日できる、今日できなかったことが明日できるというような前に進む喜びを感じることが出来るのですが、あなたの場合は、逆に徐々に衰えていくのを目の当たりにしての毎日なわけです。『あと5年か10年、このまま夫の命が絶えるまで、植物人間のようになっても介護・看護するというのが、美しい夫婦愛。「愛情」が「忍耐」に変わったとはなんという妻か。その上、他の男性と性の交わりを持つなど不届き千万。女の風上にも置けない、一刀両断、その男と二つに重ねて四つに叩き切る!』と騒ぐなかれ。江戸、明治の世ならば、女の美徳は夫亡き後も夫の仏壇に朝晩手を合わせ、ご飯を盛り、香をたき、夫の親が生きていれば孝行を尽くし、子がいれば「忘れ形見」と称して育てあげ、身も心も疲れ果て、朽ちるようにぼろぼろになって生涯を終わる。これこそが見上げた女の一生というか、女なら当たり前とされてきました。ちょっとここで、あなたの性別を男女入れ替えて考えてみてください。夫が、脳梗塞で倒れた妻のおむつの世話から入浴、食事の介助、そして小さな子どもとするような日常会話。それを3年。そんな生活を3年続けた場合、皆さんは「あらー、奥さんのおむつを3年も…。そりゃ、たまには他の女の人と付き合ったっていいんじゃないですか。誰もとがめやしませんよ。奥さんだって、むしろその方が安心するんじゃないかしら。〝あなた、私のことなんてもういいのよ。病院か施設に入れて、あなたは残りの人生を自分のために使ってください〞って考えているんじゃないかしら」となることでしょう。これが、男が介護される側、女が介護する側だと批難されるんです。長い歴史の中のジェンダーギャップの一つです。罪悪感を感じる必要などありませんよ。ご自身で考えて行動してください。
case47