【親子編】「息子のベッドに成人雑誌が・・・」

【Q】
高校2年生の息子と中学2年生の娘がいます。梅雨の晴れ間で、息子のベッドの布団を干してやろうと布団を上げたとき、ベッドの脇に隠してある雑誌を見つけました。探ろうというつもりはなかったんです。何か落ちているから拾ってやろうと、つい手に取ってしまって・・・。表紙を見ただけで、いかがわしい内容のものと分かりました。コンビニの雑誌売り場にあるようなやつです。息子も高校2年生なので、「男の子なら普通のこと」「こういうことがない方がおかしい」、頭の中ではそんな風に思っているんです。でも、実際息子がそういうもの見ていると思うと、汚らわしい感じがして動揺します。そして、頭と心が一致しない自分に、さらに動揺してしまって・・・。もう女の子と何かあるのかもしれないと考えると、とても心配です。どう息子に話したらいいでしょうか。

【A】
「男の子なら普通のこと」とは思うものの、息子がいかがわしい成人雑誌を見ていると思うと汚らわしいと感じる、「こういうことがない方がおかしい」と頭では思うのに心はざわざわして動揺する、そんな自分にうろたえる。息子を持つ母親なら一度は経験する出来事ですね。
高校2年生といえば充分に異性に興味があり、高校生の性体験者も3~4割前後と言われています。「もう女の子と何かあるのかも」と考えて「とても心配」していらっしゃる。そう「何かあっても」おかしくない年齢。「何か」という言葉は当然「女の子(もしくは女の人)との性の交わり、性の関係を持つこと」を指しているのですよね。あなたは、それを「何か」というぼかした言い方で表している。その言い方自体、「性への興味」「性の行為」をいかがわしい、汚れたものとあなたが考えているということに他なりません。
そして、昨日までピュアで天使のような少年だと思っていた息子さんが、その汚らわしい行為をしているというショック。
ご相談者のあなたの心の動揺の原因は二つあります。一つは「性とは隠微で恥ずかしく汚らわしいもの」というあなたご自身の体験と価値観。そしてもう一つは、「自分の息子はいつまでも純粋で天使のごとく汚れのないもので、性への感心など決してないはず」というあなたの思い込み。
この二つの思い込みが意識と無意識の間を行ったり来たりしている状態で動揺しています。
世界の様々な国には、様々な性文化や性習慣があり、その表現法や考え方も多種多様です。けれども共通していることは、その行為の結果が「種の保存、生命の再生産」へとつながる可能性のある行為であるということ。そのための性の行為は他の自己表現と比較して、特別なものとして扱われています。そして日本の風土と歴史の中では、特に為政者たちによって、恋愛や性の関係は汚れた恥ずべき行為のように考えさせられてきました。なぜなら、性や愛の関係の中では、士農工商のような身分の差別はなく、人は平等になることができ、為政者にとっては不都合だからです。太古の昔や庶民はむしろ「性」の喜びを分かち合うことに大らかだったと考えられています。そうした大らかな「性」を生きる楽しみにしていた様子が、万葉集や風土記には残っています。
高校2年生の息子さんも、「性」を生きる喜びの一つとして感じられる心身に発達したのです。
ただ、ほとんどの生物が「性交=生殖」としての意味しか持たないのに、人間だけは性交を「愛の表現」「愛のコミュニケーションの手段」として活用します。コンビニ販売のいかがわしい雑誌では、「快楽としての性」は扱っていても、「愛の表現」「愛のコミュニケーション」としての「性」は抜け落ちています。愛情の表現としての性、性の行為や喜びは、決して恥ずべきものでも汚れたものでもなく、生きる喜びや幸せにつながるものであることを、あなたと夫との関係性(あなたと夫も性の関係を楽しむとか)や日ごろの小さな愛の行動でモデリングしてください。
とはいえ、「この年でそんなの無理」とおっしゃるかもしれませんから、そういう場合は、質のいい映画や小説などに彼の興味がいく日常が、家庭の中にあるといいですね。
そしてもう一つ。
幼児は少年になり、少年は大人の男性へと発達します。「天使の声」と言われるウィーン少年合唱団の少年たちも、声変わりする(ほぼこのころに精通が起こります)と「天使の声」からは退団することになっています。あなたの息子さんもいつまでもあなたの天使ではなく、順調に人としての発達段階を歩んで新しい家族作りのトレーニング期に入ったことを理解し、ご夫婦で喜び合ってください。
もちろん、雑誌は見なかったことにして、そのままベッドの脇に隠したままにしてあげてくださいね。

第4回

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