男と女のQ&A【親子編】「夫が娘を甘やかした!」

【Q】
結婚して8年、5歳の息子と4歳の娘がいます。コロナが落ち着いてきて、8月まで在宅ワークだった夫も通常の勤務に戻りました。私は接客業なので、ずっとほぼフルタイムの仕事をしていました。こんな時くらいはと思い、夫の在宅勤務中は保育園を休ませ、夫に子どもたちを頼みました。子どもたちも嬉しかったようで、笑顔が増えたなあと喜んでいたんです。ところが、夫が通常の勤務に戻っても、娘が夫にべったり、全く私の言うことを聞かないんです。コロナ以前は「男の子には男親の関わりが大事だ」とか言って、娘は私に任せっきりで息子とばかり遊んでいたんですが、今回は娘を必要以上に甘やかしていたらしく、ほぼ普通の生活に戻った今も、娘は夫にべったりなんです。夫がいない間、私がそんな娘にイライラして怒鳴りつけることも度々です。夫に「あなたが甘やかし過ぎたからよ」と言うと「父親が娘をかわいがって何が悪いんだ!」と開き直られてしまいました。息子はそんな私たちの様子を察してか、近くに寄ってきもしなくなってしまいました。
 
【A】
人間が発達の初期に、どのような環境に出会い、どのような人に出会うかで、一生が決まってしまう場合があります。人間としての心や身体の機能を身につけるためには、それを獲得する時期にその子にふさわしい人間的環境が与えられることが必要です。
 
「三つ子の魂百まで」という諺は、「小さいときに獲得したことは一生変わらない」という意味で使われています。この諺は、心理学的にも小さい頃の経験や学習の重要性を表しています。「経験や学習が大切」という時の「学習」は「算数や国語の勉強」という意味ではなく、行動が経験によって学ばれるプロセス全体を指したものです。私たちの行動のほとんどが生まれてから積み重ねられてきた経験、その学習によって獲得されています。
 
人は生まれてから多くのことを学習します。母国語が話せる・箸が使える・自転車に乗れる・パソコンの操作ができる等々、全て学習の成果です。そして学習は、友だちとのつき合い方、自分の趣味嗜好にまで及び、こうした意図的なものに限らず、覚えようとするしないに関わらず覚えてしまうこともたくさんあります。知らず知らずのうちに人や本、メディアなどの考え方に影響されてしまうこともあります。
 
4才の娘さん、5才の息子さんは発達段階的には「幼児後期」に当たり、家族の中で「自主性」を学ぶことが「発達課題」と言えます(エリクソン)。幼児前期は立って歩けるようになったり、「自分の体の主人公」になる時期ですが、幼児後期は「自分の心の主人公」になり始める時期です。遊びや生活のほとんどの場面で、自分なりのやり方をイメージして実行し、その行動が危険であったり、他者の迷惑になったりすること以外は許されることを学んで、自分の心に決めたことを実行する自主性が育っていきます。この時期、大人が自分の恣意のままに、可愛がりたい時だけ可愛がり、そうでない時は放っておく、という育て方をすると、心が委縮したり逆に必要以上に我を通すという子どもに育ってしまいます。この時期は父親、母親は、、息子さんにも娘さんにも平等に愛情をもって接し、「生きる喜びや楽しさの原体験」をつくる上で大切な時です。
 
精神科医フロイト(1856~1939)は、女の子の初恋の相手は父親、男の子のそれは母親である(エディプス感情)と述べていますが、どちらの性の子どもも、父親、母親が平等に愛することで異性親を好きになる傾向は消えていきます。それを引きずらないためにも父親の偏った愛情は要注意です。
第194回

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