【Q】
もう何回失敗したかなあ…。すぐに名前が挙げられるだけでも4人です。ちゃんと数えると他にも4、5人いるので、10人くらいの男に裏切られたっていうか、愛想を尽かされたっていうか…。そうなっちゃったのは、原因があるんです。高校生の時、1年くらい付き合ってた大好きな彼がいたんですけど、なんとなく彼の態度が変わってきたなって思ったら「おまえさぁ、人を好きになるってことがどういうことか分かってる?人を好きになったら相手に尽くそうって思うのが普通だろ?おまえって“××して!”ばっかりでそういうところがないんだよ」って言われちゃったんです。それで別れることになりました。それがきっかけで、女は男に尽くさなくちゃいけないのかなって思って…。それ以降は付き合った彼氏に誠心誠意尽くしているつもりなんですけど、今度は逆に「おまえってウザいよな。もう少しいい距離感でいられないのかよ」って言われてしまって長続きしないんです。私って、人を好きにはなるんだけど、好きになられたことってあるのかなあ?どういう風に付き合うのが長続きするいい関係なんでしょうか?
【A】
高校生の時の失恋の経験からあなたは大きな間違った思い込みを2つしてしまいました。
まず最初の思い違いは、好きになったら「女は男に」尽くさなくちゃいけない?!と思ったのがそもそもの間違いですね。好きになったらお互いがお互いに対して相手の喜ぶことをして上げたいと思うわけで、「女が男に」尽くさなくちゃいけないわけではありません。まずそこが第一の思い違いです。
第二の思い違いは「女は男に尽くさなくちゃ!」とこれでもかこれでもかと「あなたに尽くしてます!」と尽くすのは相手にとっては「重い!」と感じて「ウザい」と言われてしまうというところです。
要するに「尽くさなくちゃ」と思ってやる行為は、明らかに「自分も尽くされたい」という見返りを要求しているのが見え透いていて、その人のことを好きで愛しているから尽くす「無償の愛」からは遠いのです。
「愛してる」「好き」だから尽くすときの「尽くす」は相手にわからなくてもわかっても見返りは要求していません。時には自分の生命が犠牲になっても相手の生命を救うために尽くす行為が究極の「無償の愛」です。タイタニックが沈む時、自らは船に残って恋人を救命ボートに乗せた青年のように、又、子どもの上に覆いかぶさって戦火から子どもを守り、自らは命絶えた母親のように…。
「尽くす」という行為は本来自らの内面から湧き上がり、あふれる気持ちで行う「無償の行為」であるはずです。それはたいていの場合、相手には「尽くしている」ことは知られないようにひそかに行われます。それがわかると尽くされた相手にはとても「重い」ことだからです。
「いい距離感を」と言った彼の気持ちは「尽くさなくちゃ」という義務感でやっていて、「誠心誠意尽くされている」という感じがせず、何か見返りを求められているように思い、「ウザく」なってしまうのです。「好きになる」「好きになられた」ことがないのか?とおっしゃって「どういう風に付き合うのが長続きするいい関係」なのかと悩んで質問されていますが、「長続きする方法論」ではなく、まずご自身の損得のために「人を好き」になってはいないか、そして何らかの見返りを求めて「尽くすふり」をしていたのではないかなど、ご自身の内面を見つめ直してください。「もっと会いたい」「電話やメールがほしい」「自分を愛してほしい」、こう思ったら何をしたとしても「尽くす」ことにはなっていないですから。
第237回